皆さんもご存じのとおり、2019年5月1日から始まる新しい元号は「令和」になりました。
この「令和」は、初めて日本古典を由来とした元号で、万葉集の「梅花の歌三十二首」序文の「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から「令」と「和」を取ったと公式発表されています。
万葉集の「梅花の歌三十二首」序文は、歌人の大友旅人が大宰府で読んだと言われています。
新元号の件は、中国でもニュースになっていて、早速多くの中国人ネットユーザーが、「令和」の由来について調べました。
その結果、大伴旅人が記した序文の「初春の令月」は、中国後漢時代の学者「張衡」が記した「帰田賦」にある「於是仲春令月時和気清」を踏まえているとの書き込みが相次ぎました。
*日本でも岩波文庫の公式Twitterでは、新元号「令和」の万葉集の出典は、張衡「帰田賦」の句を踏まえていることを指摘されていました。
この「張衡」は世界最古の地震計「地動儀」を作ったり、月食の仕組みを解明したり、円周率の近似値を算出した、中国では有名な人物です。
この張衡の「帰田賦」は、昭明太子編纂の詩文集「文選」に収録されている有名な詩で、中国古典文学では必読の書とされていました。
また、出典となった序文は中国東晋時代の書家、王羲之の代表作「蘭亭序」にならったという書き込みもありました。
これらを時系列に並べると以下のようになります。
- 張衡「帰田賦」(78~139年)
- 王羲之「蘭亭序」(353年)
- 昭明太子「文選」編纂(501-531年)
- 大伴家持「万葉集」(759年)
- 新元号「令和」を発表(2019年)
こうやって見ると、やはりルーツは中国ということになりそうですが、「梅」という独自のテーマを加えて作った「梅花の歌」ですので、全くのコピーでもありません。
日本でも、大伴旅人などの万葉歌人の多くは、中国の「文選」を呼んでいた可能性が高く、その影響で「梅花の歌」も「帰田賦」に似た文章になったとも考えられます。
あとそれ以外に、中国のネットでは、「永和だったら、ファストフード店になってしまっていたね」というコメントもありました。
これは上海在住の方は分かると思いますが、中国で有名なファストフードチェーンの「永和大王」とかけたジョークです。
ちなみに「永和」は、日本の南北朝時代の一時期(1375年~1379年)に、すでに使われたことがある元号ですので、採用されることはなかったと思われます。